親爺の鬼平 - 艶物話

-- お盗め --

事 始 め
言わずと知れた
お 盗 め
嘗  帳
市中探索
文庫7
文庫 9 − 「鯉肝のお里」
  お里は行きつけの化粧品屋で、湯島切通し坂下の〔丁子屋〕の手代・徳次郎を、上野不忍池の
 ほとりにある出合茶屋〔月むら〕へさそい出し、たっぷりと若い男の肌をたのしんできた。
  むろん、徳次郎へは相当の〔小づかい〕をやる。つまり、女のほうで男を買うわけだ。お里に
 とっては、これがたまらなくおもしろく、たのしみなことであった。
 (そのたのしみのためにこそ、あたしゃ、盗みばたらきをしているのさ)
  なのである。
 〔月むら〕の奥座敷で、手代の徳次郎を、
 (素裸に引きむいて、さんざんに嬲って、いじめてやったら、しまいには泣き出しゃあがった。
 ああ、おもしろい)
  ふと、目ざめたおまさは傍にねむっている五郎蔵の、ひげあとの濃い横顔を思わず見まもり、
 ふかいためいきを吐いた。
  昨夜までは、おまさも五郎蔵も、
 (こんなことになろうとは……)
  おもってもいなかった。
  昨夜、ふたりは肌身をゆるし合ってしまったのである。
  盗賊だったころの二人は、むろん本格の修行をつみ、盗めばたらきのため、夫婦に化けて何か
 するというときでも、情におぼれて掟をふみ外すことなど、一度もなかった。もっとも今度は、
 盗めをするための見張りではない。お上の御用にはたらいている二人なのだから、たとえ情をか
 わし合っても、罪悪とはいえないだろう。
 (けれど、この年齢になって、こんなことになろうとは……)
  であった。
  三十をこえたおまさと、五十男の五郎蔵なのである。(中略)
  昨夜。六尺ゆたかな五郎蔵の巨体に抱きしめられたとき、おまさは、
 (これでいい……これで、いいのだ……)
  そう感じた。
  おまさが、少女のころから胸に抱きつづけてきた慕情は、長谷川平蔵その人に向けられたもの
 だが、これはもとより、
 (叶わぬ相手……)
  なのであって、それはまた、三十女のおまさが清い少女の夢をうしなわぬことにもなり、ひい
 ては、そうしたおまさの心情が五郎蔵をひきつけたのであろうか……。
  ぐっすりとねむっている五郎蔵の頬へ、いつしかおまさは、しずかにしずかにくちびるをさし
 寄せていったが、そのとき、五郎蔵が眼をあけ、おまさは、あわてて身を引いた。
  おまさのうなじへ見る見る血がのぼってきた。
 五郎蔵は、しばらくだまっていたが、ややあって、
 「おまささん……夫婦して、長谷川様のおためにはたらくのも、わるくはねえとおもうが……」
  男らしくいいかけてきた。
  おまさは、びっくりした。
  よもや、五郎蔵がそこまで考えていたとは夢にもおもわなかった。
  振り向いたおまさの腕をつかんで引き寄せ、五郎蔵が熱い口をおまさのうなじへあてつつ、
 「舟形の宗平爺つぁんも、よろこんでくれるとおもうが……」
  と、ささやいたが、
 「さて……長谷川様は、なんとおっしゃるか……?」
 「どうした彦十、血相を変えて。なけなしの一張羅を鼠にでもさらわれたか?」
 「じょ、冗談じゃねえ」
 「では、むかしむかしの色女が墓場の中から迎えにでも来たかえ?」
 「な、何をいってなさるんだよう、銕つぁん。それどころじゃあねえ、まあちゃんが……おまさ
 が大滝の五郎蔵どんと……」
  いいかける彦十へ、平蔵が押しかぶせるように、
 「五郎蔵とおまさが出来たというのか。どうだ、図星だろう」
  と、いった。
  相模の彦十、眼を白黒させるばかりで、とっさに声も出ない。
 「あは、はは……」
  平蔵が愉快げに、
 「おれはな、彦よ。そのつもりで、五郎蔵とおまさを一つ家に住まわせ、松五郎とお里を見張ら
 せたのだよ。どうだ、おどろいたか?」
 「そ、そりゃ、もう、おどろくなというほうがむりというもんだ」
 「仲人は、おれがしてやろう」
 「げえっ……」
 「おりゃな、彦よ。五郎蔵とおまさなら似合いの夫婦だとおもうが、お前はどうだ?」
 「む……」
 「否やはあるめえ」
  がらりと、平蔵の口調が三十年前のそれに変って、
 「あの二人なら、きっと出来るとおもったのだ。それも彦十。三十をこえたおまさが、何年も男
 の肌から離れているのは、こいつ、女の躰のためによくねえことだと、おもったからさ」
 「けれど銕……いえ、長谷川さまよ。おまさはむかしから、お前さんに惚れこんでいて……」
 「ばかをいうな……」
 「へっ……」
 「盗賊改メの御頭が、女密偵に手を出せるか」
 「へ、へっ……」
 「こころとこころは別のことよ。女は何よりも、男の肌身に添うているべきものだ」
文庫 9 − 「本門寺暮雪」
 「久栄。よし、おれが身に万一のことがあっても覚悟の上ではないか。男には男のなすべきこと
 が、日々にある。これを避けるわけにはまいらぬ……」
 「はい……」
 「たとえ、このまま、この座敷に、お前とさし向いに、何年も、すわり暮していたとしても、い
 ずれは、どちらかが先へ死ぬるのだ。いずれは、お前と死に別れをせねばならぬ。たとえ、それ
 が二十年先のこととしても、まことに、あっという間のことよ」
  いうや平蔵が久栄に近寄り、いきなり肩を抱き、妻女の耳朶へ、なんと、くちびるを押しつけ
 たものである。
  四十をこえた平蔵と、四十に近い久栄との、おもいもかけぬこうした場面を次の間から見てい
 た侍女の貞が、まっ赤になった。
 「安心、いたせ。さ、仕度を……」
文庫 9 − 「浅草・鳥越橋」
  むろん〔井筒〕は、傘山一味にかかわりのない料亭である。
  傘山の瀬兵衛は、しかるべく名を変え、身もとをいつわり、変装をして、井筒の客となってい
 たに相違ない。
 「むろん、お頭は、おれに口どめをしたよ。仁助にはいうな、とね」
  と、定七は昨日、八幡社の絵馬堂で仁助にいった。
 「こんなことを、お前にいいたくはねえが……そのとき、おひろさんはお頭と、炬燵にね、炬燵
 に入っていてね。二人して酒をのんでいたのだが……そりゃもう、見ちゃあいられねえほどにう
 じゃじゃけていてね。お頭がな、おひろさんの着物の八ッロから手を差し入れて、おひろさんの
 乳房をいじりながら、おれのはなしをきいていなさる。こいつにゃぁおどろいたよ」(中略)
 (もしやすると……おひろのやつは、おれといっしょになる前に、お頭とできていたのかも知れ
 ねえ)
  仁助は、そこまで考え、ほとんど昨夜はねむれなかった。
  はじめて、おひろを抱いたとき、もちろん処女ではなかったし、その躰は熟れきっていた。
  盗賊ながら、あまり女の数を知らぬ仁助のほうが初手からおひろに翻弄されるかたちとなり、
 それがまた仁助を溺れさせたのである。
  細っそりとして見えながら、裸になったときのおひろの胸乳と腰まわりの量感は、
 「眼がくらむような……」
  すばらしさであった。
  たった一度だけ抱いた女のことを、忘れかねてのことではない。おひろだって、お頭のいうま
 まに抱かれはしたが、処女であったわけではなし、その後、瀬兵衛を慕っていた様子もない。
  (中略)
  それが、急に、
 (いま、仁助は、おひろの傍にいねえのだな)
  と、おもった。
  これは、どういうことなのか……。
  四年前の、あのとき……。
  瀬兵衛の、ふとい両腕に抱きすくめられたとき、おひろは、
 「お頭が、こんなことをなすっちゃあいけません」
  はじめのうちは、相当の抵抗をしめした。
 (おひろの躰は、まるで、骨がねえような……)
  やわらかい、しなやかな女体が、ついに瀬兵衛の腕力に屈服すると、今度は瀬兵衛が瞠目をし
 た。
 (あんなに、烈しい女は、見たことがねえ)
  いまでも、そうおもう。おひろは両国の見世物で軽業をしていたのが、間ちがいを起し、その
 あげくにこの道へ入り、はじめは大盗・蓑火の喜之助に仕込まれ、それから傘山一味に加わった
 のである。
  おひろが仁助と夫婦になり、江戸へ行ってからも、瀬兵衛は、
 (ああした女には、あんな男がいいのかも知れねえ……が、仁助では物足りめえ)
  折にふれ、そんなことをおもっては、にやにやしていたことも事実だ。
  五十男の瀬兵衛は、やはり無意識のうちに、おひろを忘れかねていたのであろうか……。
文庫 9 − 「白い粉」
  一昨日の夜までは、
 「おかえりなさい」
  飛びつくようにして出迎えてくれた女房おたみの、姿はなかった。
 (もしや、帰って来ているかも……?)
  という勘助の、かすかな期待は、たちまちに押し拉がれてしまった。
  一間きりの家の中は、昨日おたみが、此処を出て行ったときのままであった。
  昨夜は勘助、寝床も敷かず、まんじりともせず、今朝を迎えたのである。
 「ああ…」
  嘆息が、声になって出た。
  勘助は、しばらく、ぼんやりとすわりこんでいたが、やがて押入れから蒲団を出して敷きのべ、
 その中に残っているおたみのにおいを嗅ぎ、
 「どうして、おれは……おれは、どうして、こうなんだろう……」
  つぶやき、むせび泣いた。
  夫婦になってから三月。このごろのおたみは、勘助が目をみはるほど、男の愛撫に烈しいこた
 え方をするようになった。化粧の気もなくしていながら、若い肌に照りがのってきて、
 (女っていうのは、こういうものだったのか……)
  日毎に、勘助の感動が新鮮であった。
  三十をこえていながら、勘助は女あそびをあまりしなかったほうで、酒と博変だけあれば「お
 れはいいのさ」という男だったけれども、独り身のころに女を買わぬわけではなかった。それも
 白粉焼けのした女たちばかりを、である。
  処女が、
 「女になってゆく……」
  その過程に、勘助が人一倍、強い感動をおぼえるのは、やはり彼が生きものである魚や野菜を
 手ずからあつかう稼業をしているからであろう。
  勘助は細身の躰を折り曲げ、おたみの枕紙にしみている髪油のにおいを、こころゆくまで嗅い
 だ。嗅げば嗅ぐほど胸苦しくなってきた。

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