親爺の鬼平 - 艶物話

-- 嘗 帳 --

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嘗  帳
市中探索

火付盗賊改方・長谷川平蔵宣以。亡父ゆずりの「粟田口国綱二尺二寸九分」を抜きはらうと下段に付けた。・・・・・・・って、ちょっとまてぇい!!
その刀どんなんだ?名刀なのか?ホントにあったのか?
かっこいいんで流してしまってますが、「日本刀」ってイメージだけで本当は漠然と判ったつもりで読んでませんか?(私は、そうです^^;)
・・・・で、ちょいと調べてみました。

1. まずは日本刀の歴史
「日本刀(国内的には「刀」「剣」と呼び海外との対比上「日本」を付けるそうですが)」の起源は定かでは無いようですが、鉄の剣は古墳時代の遺跡からも出土していることから大和朝廷の頃には既に鉄剣の国産が行われていたのでしょうか。
しかし、平安中期までは真っ直ぐな反りのない直刀で、反りのある湾刀が出始めたのはこれ以降といわれ、私らがイメージする「日本刀」はこの辺から・・・と言えそうです。
丁度この頃、新しい階層として「武士」が出現しており、より実戦的実用的な武器として進化したと言えるかも知れません。
その後、名刀工と呼ばれる者もあり、時代と共に流行すたれが形状・長さ・厚みなどにもあったりして現在まで脈々とその技術が伝えられた・・・といったところでしょうか。
2. 名刀工
時代劇のみならず「名刀」は、日本人ならいくつかは聞き知っているものでしょう。
曰く「抜けば雫散る名刀村雨」、曰く「今宵の虎徹は血に飢えておる」、曰く「瞑府魔道に生きる者の胴田貫」等々。
本当にあったかどうかは後に譲るとして、これら「名刀」の名前とされるのは本来これを創った「刀工」もしくは刀工一派の名前だそうな。
これら刀工の内「名刀工」と呼ばれたのを時代ごとに幾つか上げてみると
  平安時代・・・三条宗近(流石にこの頃については資料があまり無い)
  鎌倉時代・・・一文字則宗(例の菊一文字のアレです)、長船光忠(備前長船一派の祖)、五郎入道
          正宗(正宗はほとんど名刀の代名詞)、粟田口国家(でたでた)
  南北朝時代・・・ごめん、色々いらっしゃるようですが「時代の代表的」がわかりませんでしたm(_ _)m
  室町時代・・・千子村正(かの妖刀)、和泉守兼定(あれです・之定)
  桃山時代・・・堀川国広、越前康継、陸奥守大道(三品)、野田善四郎清尭(繁慶)
  江戸時代・・・仙台国包、井上真改(キター)、津田越前守助広、長曽称虎徹興里(今宵の・・)
「刀」ってのは、実用品であると同時にシンボルでもあったのは殆どの時代共通(現代に置いては後者のみとも)で、エライさんの庇護もあったようで(一方古い時代には妖の一族とされたこともあったらしい)、後鳥羽上皇などは自ら焼刃を施した(打っちゃいないんですね)とされる。
時代が進むと「刀鍛冶」と「鉄砲鍛冶」の往来が行われ、鉄砲造ってたのが刀打ってみたり、刀鍛冶から鉄砲鍛冶に職替えしたり結構あったようですな。  
3. 日本刀の製法
では、簡単に「日本刀」はどうやって造るのか・・・鉄を熱してハンマーで叩くんだろって、・・まあ・・そうなんですが、鍋造るのとはチョット違うんですよ。
 【工程】
  @たたら吹き(玉鋼製造)→A水減し(ミズヘシ)→B鍛錬→C造り込み(D素延べ→E焼き入れ)
  →F仕上げ(G鍛冶押し→H茎(ナカゴ)仕立て→I銘切り)

え〜、細かいことは、それなりのHPを調べて貰うこととして;;、上記工程をざっと説明すると、@で鉄(嘗ては主に砂鉄)の不純物を排除しやすい直接製鋼法によりベースの鋼を用意、A熱して薄い扁平な板を造り水で急冷さらに余分な炭素を排除しこれを合わせ厚板を造る、B暫しも休まず槌打つ、C日本刀の特徴!Bで造った炭素の少ない柔軟性に富んだ心鉄(しんがね)に炭素が多めで硬い刃金をくっつけて、最も炭素が多く硬い皮鉄(かわがね)でサンドイッチし柔軟で切れ味鋭く折れない日本刀の基礎構造を造り、DEで刀身の反りや切れ味を造り、Fで最終調整し(G)柄をはめる穴(目釘穴)をあけ(H)銘なぞを入れ(I)、ハイ、出来上がり。
この工程が日本刀の美しさ・強さを創り出すわけですが、良い刀を造るためには秘伝や勘もさること、材料・環境に恵まれる必要があったでしょうね。
その為か、古い時代(古刀期)の刀の産地は山城、大和、備前、相州、美濃に固まっており、これを「五ヶ伝」と称するとか。
また、強い日本刀の技術を科学的に分析して強靱な戦車外殻をナチスドイツが造り上げたとかいう話も聞いたことがあるが・・・ホントかウソかは知らん。
4. 日本刀の区分など
前項まででちょろちょろと言葉として出てきた日本刀の時代的分類ですが、これは現代における分類で当時それぞれの時代の人は「オレって古刀期だ」とは思ってなかったでしょうねぇ。
 @古刀期 ・・・慶長元年(1596.12.16)以前の刀を指す。
 A新刀期 ・・・慶長元年以後の刀を指す。
 B新々刀期・・・天明元年から明治維新あたりの刀を指す。
 Cこの後「昭和新刀」とかも有るらしいが割愛。
大方の「名刀」と言われるような刀は、殆ど「古刀」に属するんですかねぇ。そうでもないかなぁ。
いずれ、古刀期から新刀期は実用品からシンボルへの分岐点と見てもいいのかなぁ。・・・誰が決めたんだろ、この分類・・・。

一口に「日本刀」といっても大まかに以下に分類されます。
 太刀・・・刃長2尺以上のもの。一般に銘を外にした時、刃が下を向くもの。腰に差さず刃を下にして
      ぶら下げるように佩く。大太刀、小太刀。
 刀  ・・・刃長2尺以上のもの。地上で打ち合うことを目的とするため、太刀より短め。刃を上にし腰に
      差す。
 脇差・・・刃長2尺以下1尺以上のもの。
 短刀・・・もっと短いもの。腰に差す短刀を腰刀、衣服の内側に入れるものを懐刀とも呼び分ける。
      匕首。
 その他・・・槍。薙刀。剣。など・・・大太刀の変種とされる斬馬刀、中巻、長巻なんてのもあり。

「刀」の各部名称ですが・・・これが細かい!あんまり細かいんで、ここでは書きませんorz
「刀の造り込み」・・・刃の断面形状を「造り込み」といい、これには次のようなものがあるそうです。
  鎬造り(しのぎづくり)、平造り(ひらづくり)、切先双刃造り(きっさきもろはづくり)、切刃造り(きり
  はづくり)、諸刃造り(もろはづくり)、冠落造り(かんむりおとしづくり)、菖蒲造り(しょうぶづくり)、
  鵜首造り(うのくびづくり)など
  一般的には鎬造りが多いようです。
「刃文」・・・刃境から刃先(刀の斬る部分ですね)の焼きにより出る模様。大別して直刃(すぐは)と
       乱刃(みだれば)があり、更に非常に細かい種類があります。ちなみに鬼平の代表的帯刀
       「粟田口国綱」と「井上真改」は直刃の分類と思われる。
       尚、切先部分の刃文を「帽子」と呼び、これにも特に種類があります。
5. さてお待ちかね!あるのか?あったのか?!
・・・・で、粟田口国綱・・・である。
この人、正直、有名人です。
粟田口国綱(1163〜1255)は鎌倉中期、京に興った粟田口六兄弟の末弟で、藤六左近と称し、五ヶ伝のひとつ「山城伝」の中核の一人で、この後「粟田口派」なぞと呼ばれる一大刀工派閥の源流の一角。
最も有名なのは、「天下五剣」にも数えられる「鬼丸國綱」。
これは、鎌倉幕府執権として実権を握った北条時政が京から国綱を招いて鍛刀せしめたとかしないとか。
一説では、北条時政ではなく時頼との話もあるが、夜ごとの悪夢に悩まされ毎晩枕元に現れ、眠りを妨げる小鬼には加持祈祷も効かず、ついに心労で倒れた時政(時頼?)は、粟田口国綱に打たせた太刀の化身という老爺のお告げを受けた。
「刀身が錆で汚れているために、鞘から抜け出せず、時政を救えない」というのだ。
翌日の朝、斎戒沐浴した家臣に太刀を清めさせ、抜き身のまま居間の柱に立てかけ火鉢にあたり、暖を取りながら夜の訪れを待っていると突然、太刀が目の前に横倒しとなった。
倒れた太刀は火鉢の台になっている小鬼の像の頭部をものの見事に切り落としいたのである。
この小鬼こそが、悪夢を見せていた元凶であり、以来、鬼丸と名付けられた太刀は北条家の家宝となり、代々の当主が継承した・・・ってなぐあい。
殆ど、日本昔話ですが・・・・。
なんでもこの刀、今、皇室御物の宝剣として宮内庁の管理下にあるとか・・・・。
これほど由緒正しい、正統折り紙付きの刀工が鍛えし業物なら、いかにも「鬼の平蔵」の腰にふさわしかろう・・・・と思いますが・・・いかが?
6. さらに、あるよ。あったのよ!
・・・・で、井上真改・・・である。
こちらはグッと新しく、江戸時代初期の人。
本名は、井上八郎兵衛良次、摂津国の刀工。
大阪に出て、初代国貞の養子となり、二代和泉守国貞、後に、入道井上真改と改名、新刀期の名人で、津田越前守助広とともに大坂新刀の双璧と称される。
「真改の作風は板目肌に地沸が厚く地景が入った鍛に、湾れを主として互の目を交え沸が厚く金筋が入った刃文で大坂正宗の呼称がある。」・・・だ、そうですが、読んでもイメージ沸かないのですよねぇ。
この人、単なる職人じゃなかったらしく、陽明学を学び、書画を嗜み、工芸にも造詣が深く、加えて酒豪だったそうな。
天和二年(1682)53歳で急逝(一説には、酔っぱらって井戸に落ちたとか)。
ちなみに、これ(井上真改二尺三寸四分)にだけ決まって付く「柳生拵(ヤギュウゴシラエ)」については、どうやら「柳生厳包(連也斎)」の拵に似せたものらしいとしかわからんかった・・・こんなに刀剣の販売ページに出てくるのに・・・・具体的に、どういった特色があるのかわからん。
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「鬼平」に限らず、時代劇に日本刀はつきものですが、なかなか実物にお目に掛かる機会は少ないですねぇ。
当然といえば当然なんですが、博物館や美術館くらいですか、古美術店や武具刀剣販売店なんかは敷居がちょっと高いですね、貧乏人としては・・・。
手元に置かなくても(許可とか保管庫とか要りそうだし)、本身の日本刀(できれば銘刀)を触ってみたい・・・なんて思うんですが、作法とかもうるさいみたいだし、なかなかねぇ。そういうの持ってるような知り合いも無いしねぇ(^^;)
模造刀なんてのもありますね。見る限り模造刀といっても本物っぽいし・・・。
本物の刀のネット販売をしてるところもあるんですが、詳細な写真が載ってて見てるだけでも楽しいです。・・・と言うか、見るしかできん、私には・・・高くて・・・orz


訂正です・・・・上に(許可とか保管庫とか〜)と書きましたが、登録は刀剣そのものに対して行われ登録証の付いた刀剣の所持・譲渡は自由だそうです。但し、刀剣を入手した日から20日以内に「登録証」の記載事項をもれなく記入し、その日本刀を登録した各都道府県教育委員会宛てに住所、氏名(ふりがな)捺印をし、銃砲刀剣類等所有者変更届を郵送することが必要とのこと。
・・・・とはいえ、持ってる人は盗まれたりしないように保管には充分気を使って欲しいものです。